やり遂げる力。自分で決めたらやり続けろ。をどう捉えるか

2022年5月2日

『コーチ、おれサッカーやめた』

とあるスクール生が開口一番こんなことを言った。

JDI『へー、そうなんだ。何かあったかー?』

スクール生『友達と喧嘩して…色々あってさー』

JDI『そかそか、友達とは仲直り出来た?』

スクール生『うーん、、、まだかな。でも1年くらいして仲良くなれるかも』

JDI『そっか。別のことやるの?陸上とかいいじゃん』

スクール生『いま考え中。でもおれ体幹(スクールのこと)やってるからいいんだ。』

こんなやりとりだ。

本人はどこかあっけらかんとしていたが(どれくらい重く捉えていたかはおし計れなかったが)むしろ、仲間の方が残念な様子。

『そんな理由で辞めるのもったいない』

『おれなら辞めない』

とか。口ではからかいつつも同じ競技でプレイする仲間を失った。そんな無念さが伝わってきた。

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日本の美学

ここで出てくるのが辞めてよかったのか?もう少し頑張った方がよかったのか?という問い。結論どっちでもいいのだがこれは本人が決めたことであれば。という前提に基づく。自己決定する事が大事。

日本には美学として『決めたことは最後までやる』がある。

この言葉が発信されるプロセスには大きく2通りあると思っていて、一つが『やると決めたなら最後までやりなさい』と言う親ないしは指導者の言葉。約束。または縛り。もう一つが『自分が決めたこと。必ずやり遂げて見せる』と言う内的な動機。

どちらがよいか。ではないが前者は『やらされている』感覚をもつ子が多いように感じる。例えば『言われてもやらない』と言われるタイプの子だ。一方で後者は自発的に課題に取り組む事が出来る。例えばこちらが指示せずとも、宿題や課題に自発的に取り組むなどだ。

何かを極めようとするとどこかで必ず壁が現れる。そんな時。歯を食いしばり、苦しさを乗り越え、それでも達成できるかどうかわからない。そんな経験をする。そこで自分のアイデンティティと向き合う。

『なぜ自分はこんなに苦しいことをしているのか?』

『ここまでする価値があるのか?』

自問自答の後残るのは、『好きだから』『絶対達成したい目標があるから』そんな強い思い。これこそまさに内発的動機だろう。

ドイツではどうだろう?

2018年のドイツライプツィヒ短期留学は衝撃的だった。

ドイツトレーニング学やコオーディネーション理論の学び、子供の能力形成のプロセスなどそれこそ色々なことを持ち帰った。中でも文化の違いを感じる事が出来たのが一番の収穫だった。特に運動や身体を動かすことに関する距離感の違いはなかなか衝撃が大きかった。

ドイツには運動クラブが星の数ほどあるそうだ。実際に数カ所見学させてもらったがどこも老若男女、身体の強い方から弱い方、様々な方が対象となるような豊富なプログラムを用意していた。こんなクラブが他にもたくさんあるのだから運動への参加率も当然高い。

中でも感銘を受けたのが料金設定について。見学した施設では一番安価に利用できるのが幼児。そしてそこから年齢があがるにつれ会費が高くなるのだ!この仕組みには唸った。

曰く、運動をしないことで将来一番悪い影響を受けるのが小さい子供。なるべく多くの子に運動機会を提供するため高齢者の会費を高くし子供達が運動できるようにしている。とのこと。確かに!子供たちがしっかりした運動習慣を持ち健全に発育発達することこそ最高の予防に違いない!

高齢化が極まった極東の島国では到底思いつかない施策だろう。

ドイツの辞める辞めない事情 少年団の存在

前述の通りドイツには至る所にスポーツクラブがある。当然、選択肢も多い。これが何を意味するのか?

日本の小学生の辞める辞めない問題を難しくする背景に少年団の存在がある。少年団は地域単位、学校単位での活動の延長。つまり学校の仲間と同じチームになる可能性が高い。そこが問題。辞める辞めないの判断材料が単に競技の好き嫌いだけでなく学校の友好関係にまで波及してしまうのだ。

サッカーチーム辞めたら気まずくなった。学校で喧嘩してチーム活動が憂鬱になった。などが多いご相談だ。中にはチームを辞めたら学校で仲間外れにされた。など少々行き過ぎ。と捉えられるものもある。時代は令和。村八分のような時代錯誤な同調圧力はもうやめにしないか?

自分に合った運動環境を

その他にも選択肢の少なさが挙げられる。

子供の数、クラブの数。絶対数の少なさ。選択肢が多ければ多いほど条件に合った選択が出来る。自分のモチベーション、好きな種目、空いてる日程、親の都合。条件に100%合ったものを見つける。これは相当難しい。

もちろんそれぞれの場で慣れやすい環境も違う。

自分に合った居心地の良いコミュニティーを見つける意味でも選択の幅は必要。

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戻れる環境

そして、再入会率

辞める辞めないを決める。これは大事なことだけど少々難しく考えすぎではないだろうか?これも前述の続ける美学に由来するのだろうが『一生に一度の決断』『運命の別れ道』的に捉えすぎじゃないだろうか?

辞めたいなら辞めてみたらいい。やりたくなったら戻ればいい。辞めて気付くことも沢山あるんじゃないか。

中々、そうはいかない土壌があるのもわかる。でも、そのぐらいの感じがいい。

ドイツは再入会率が高いそうだ。一度辞めてまた戻ってくる。学校の友好関係に捉われないその場その場のコミュニティーがあるからこその結果だろう。

やる前の期待感とやってみてからの実態感と。違うこともあるだろう。やっているうちにやっぱり違うかも?これもある。そうなった時に。

基準はいつでも『ワクワクするか』そうあって欲しい。

日常,関わり方

Posted by JDI